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=Frozen Moonlight of Midnight=
Since 2000.5.23

 

 

 

=お知らせ=

サークル「霜月堂(そうげつどう)」は、コミックマーケット94の参加をもちまして、活動を終了いたしました。





* * *     





 長い間、一次創作小説サークルとして活動してまいりましたが、このたびサークルを畳むことにいたしました。今後の活動は、ありません。ペンネーム:高篠秋子 としての創作活動は終了いたします。再開するつもりはありません。

 その理由はというと、ひとつにはコミックマーケットのジャンル配置が、毎回あまりにも酷いこと(男性向けやギャルゲーなどの間にまるで緩衝材のように配置される、他の創作系と引き離される、等々)、それだけならサークル以外で書き続けていられるのかもしれませんが、もうひとつの理由があって、高篠秋子としては完全に筆を折ることにしました。
 その理由とは──無反応、です。

 霜月堂は創作文芸サークルとしては、かなり部数も出ていますし、ページ数の関係からかなりの部数を刷ったにもかかわらず足りず、さらに再版するに至った本もあります。
 が、部数以外にあまりにも何の反応もない状況に、ついに心が折れました。

 今まで、出た部数だけを拠り所に、我が道を行けばいい、と自分に言い聞かせながら書き続けてきました。しかし、あまりにも反応がないとそれにも限界が来るんですよね。それでもかなりの長い間、部数以外の反応が全くない中、我ながら良くやったと思います。
 近年手がけていたシリーズの最初の頃は、書きたいという勢いだけで、反応がないことに目をつぶって書いてきましたが……ここ10年くらいの間でしょうか、反応のない虚しさに、時間をかけてゆっくりと心折れていった感じですね。
 サークルブログを開いていた間はメールフォームも設置し、公式Twitter(これも反応がないのと諸事情のため削除しました)も何年間開いていたでしょうね。それでも、ほとんど何もなかったんですよ。本当に、驚くほど何も。

 もちろん、一番の動機は“書きたい”です。“書きたい”さえあれば、とりあえず書くことはできます。どんなものでも。
 でも、言葉も小説も、そこにあるだけでは存在しないも同じです。その言葉を見る・聞く人、読む人がいなければ。
 言葉や文、小説は、“何か”の伝達手段です。しかし伝達したいものをいくらたくさん込めても、本を渡してそれが一旦しまわれた瞬間から、書き手にはそれがどうなったのかを知るすべはありません。伝わったのか伝わらないのか、何もわからない。能動的な反応がなければ、ちゃんと読まれたのかどうかすらわからない。
 部数出ているんだからそれが反応じゃないか、と自分には言い聞かせてきましたが、買われただけでは読まれたという証拠にはなり得ません。とりあえず創作小説を買ってみたけどそれだけ、面倒だと放り出されていないかどうかなど、書き手にどうして判るでしょうか。
 そこを考えないようにしてきましたが、一度そんな考えに至ってしまったら、もうダメでした。
 まるで、光も闇もない虚無の中に、小石を放り込んでいるようだ。
 投げた形跡もなければ、どこかに落ちた音もしない。
 叫んでもわめいても、自分の声が自分の耳にすら届かないような、虚無。
 何も、ない。

 反応が無いっていうことは、何らかの作り手にとって、こういうことなんです。

 ここまで反応がないのですから、完結していない続き物の先も需要がないと判断しました。
 精神をすり減らして、“何か”をひねり出す理由はもはやありません。
 よって、活動を終了いたします。

 サークル廃止を決めたあと、知人に話したら「それでも書き続けてくれるんですよね? ラストまで書いてくれますよね?」と訊かれましたが、書きません。
 一度折れたものは、戻らないんですよ……。
 自分なりにリハビリも試してみましたが、無理でした。
 少なくとも、ペンネーム“高篠秋子”としての執筆は、不可能です。

 最後のコミックマーケットで、何か出せればとは思ったんですが……今のところ無理そうです。


 今までありがとうございました……と言いたいところですが、これも誰かの目に届くんでしょうか?
 届かない気がしてなりません。
 が、何の挨拶もなしに閉めるのも嫌ですので、今まで読んでくださった人に──もしいらっしゃるとしたらの話ですが──お礼を申し上げます。

 このサイトとメールアドレスは、最低1年は残しておくことにします。
 その後は、頃合いを見てドメインごと削除します。


 “さようなら”という言葉が嫌いでした。まるで、永遠に別れる挨拶のようで。またね、と言って別れたい。普段から“さようなら”は使わない主義ですが──コレで締めざるを得ない、かな。
 “左様なればこそ、お別れいたしましょう”
 さようなら、という言葉の語源だそうです。
 “左様なればこそ”というのが、深いなあ、と思うんです。そういう状況であるから、状況が許さないから、別れる。そういうのが日本の文化なのだそうで。
 つらつらと書いてきたこれが、私の“左様なる”事情です。
 お解りいただけてもいただけなくても、左様なればこそ。


 それでは、さようなら。

高篠 秋子